□ 拙を守る
桜より一足早い春告花の「木瓜(ぼけ)」は、昔から俳句の題材として親しまれてきました。
文豪の夏目漱石も大の木瓜ファンだったと聞きます。
小説『草枕』では、「木瓜は面白い花である。
枝は頑固で、かつて曲った事がない。
そんなら真直かと云ふと、決して真直でもない。
(中略)そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。
柔らかい葉さへちらちらつける。
評して見ると木瓜は花のうちで愚かにして悟ったものであろう」と主人公に語らせています。
木瓜の花言葉には「先駆者」や「指導者」のほかに「平凡」があります。
梅によく似た花姿を個性がないと見た人がいたのかもしれませんが、漱石はその 様子を「拙(せつ)」と表現し、「木瓜咲くや 漱石拙(せつ)を守るべく」とい
う句を詠みました。
「稚拙(ちせつ)」や「拙劣(せつれつ)」の言葉からも分かるとおり「拙」とは下手なこと、つたないことを意味しており、「拙を守る」と は漱石が生き方の基本として好んだ言葉だそうです。
不器用で世渡り下手を自覚していた漱石ですが、器用で如才ない生き方に憧れていたわけではありません。
むしろその逆で闇雲に利を追求するくらいなら、要領は悪くてもあえて拙を曲げない愚直な生き方を貫きたいという思いを込めて先の一句を詠んだのでしょう。
何かと巧みさが注目を集める世の中ですが、下手で不器用だから成功しないと考えるのはいかがなものでしょうか。
自らの不器用さを自覚している人は不器用を 克服するために懸命に努力します。
片や、もともと器用な人はさほど苦労しなくても上手くいくため、得てしてあくせくしないものです。
努力なくして成長もないとするならば、成功の決め手は「器用」「不器用」ではないように感じます。
むしろ器用であるゆえに努力を忘れ、そこで成長が止まってしまう恐れもあります。
足りないところを補う努力を忘れずに、不器用ながらも高い志を持ち、拙を守って自分らしく商売を続けていけたらどんなに素晴らしいことでしょう。